『イチャイチャした胸筋』

よしだゆり、吉田有理。好きなこと、嫌いなこと。焦がれること、立ちすくむこと。希望、忘却。オフィシャルウェブは、yuripon.net 

ONLY MY LOVE

 

先日、仲間とカラオケに行った。仕事の打ち上げである。

遠くの部屋で松田聖子メドレーがかすかに聞こえると

ふいに、ひとつの曲が耳の奥で響き始め、

20数年ぶりに歌ってみたいという理由のない衝動に襲われた。

 

それは、最初に勤めた会社の上司、Hさんの結婚披露宴で歌った曲。

場所は、赤坂の有名ホテルNオータニ。主賓は、得意先の自動車会社の重鎮。

職場をあげての接待的豪華祝宴だった。

 

社員代表として歌うことになったわたしは、

失敗の許されない大役に、猛練習して当日に臨んだ。

 

その歌はHさん夫妻に捧げたつもりだった。

だからそれ以来、1度も口にしたことがない。


しかし、久しぶりにあの曲が歌いたいという得体の知れない誘惑は強かった。

曲名を入力して、マイクを握る。歌い出しは順調。みんなも笑顔である。


やがて、間奏に入ると予期せぬ事態が起きた。

「・・・Hさん、K子さん、おめでとうございます。

おふたりの幸せを祈って、いつもの鉛筆をマイクに持ち替えて歌います

あの日のせりふがそのまま、パクパクと口をついて出てきたのである。

 

「ゆりさん、怖い…。Hさんってだれ?」と、

当時のわたしのことなんか何も知らないMちゃんが、

おびえた顔で言った。

意外な展開にあわてたが、こうなったら最後まで歌い切るしかない。

 

後奏が始まると、またまたスラスラ挨拶が出る。

「おふたりに捧げる、オンリー マイ ラブ

パクパクと声を張り上げているわたし。


まるで、パブロフの犬である。仕事は体で覚えろと教わった。

今の挨拶はまさに、悲しいほど忠実な、条件反射だった。

 

この場違いに凍りついた状況を説明する言葉が見つからなくて、

わたしはしばらく、石になっていた。 


 

           福島民報コラム『圏外のアンテナ』を転載しました

               =2013年6月4日掲載=

 

 

               松田聖子「ONLY MY LOVE」→

             http://youtu.be/v9yUUNdb7ew?t=26s